はこだて散歩日和(パッチワーク日和)

石川啄木

6/30立待岬のハマナスで紹介した 立待岬に行く途中に 石川啄木一族のお墓があります。
函館市電 谷地頭(やちがしら)電停から 少し歩きます。
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チラッと頭が見えますが 若いお兄さんが写真を撮ったり
お墓にお参りしていました。
優しそうな方だったので 話しかけて見ました。

福島から 新幹線で函館に来たそうです。
工藤函館市長に代わって 『函館に来て頂き有難うございます。』 とお礼を・・・。
にこやかに 笑顔を返してくれました。
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このお墓の形は,ロシアに強い関心を抱いていた啄木の心情をくみ取り
樺太にあった”日露境界標石”を模したそうです。
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若い時に啄木に関する本を読みました。
函館での彼のよき理解者である宮崎郁雨(いくう)に多額の借金をしていますが
どんなに文学的に良い作品を生み出そうが 借りたお金を返さないなんて
”人としてどうなの?”と、批判的に思いました。

啄木は借りたお金をノートに付けています。
(この他にもアチコチで借金をしていますが 総額は今の価値で1600万円です。
郁雨には150円と一番大きな金額を借りていますし、
生活の面倒も見て貰っています)

郁雨は後に啄木の妻節子の妹と結婚しています。
このお墓も郁雨と岡田健蔵(函館図書館館長)がお金を出して建てました。
一族のお墓の隣に、寄り添うように郁雨も一緒に眠っています。
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函館イコール啄木との印象ですが
啄木は明治40年(1907)5月から9月までの132日しか住んでいません。
明治40年の大火で勤めていた小学校と新聞社が燃えてしまい
この後 札幌~小樽~釧路~東京と移り住みますが 26歳の若さで肺結核で亡くなります。
妻節子もその一年後に亡くなり 二人の遺児が残されました。
このお墓は大森浜が見える絶景に建っています。
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近年啄木の娘 京子の写真が見つかりました。
啄木の親友であり歌人でもある 土岐善麿は、啄木の全集3巻本を刊行して
その印税の内2600円を二人の遺児のために 第一銀行に預金します。
啄木の小学校の代用教員の月給が12円でしたから 二人の娘は金銭的には
困らなかったそうです。(お父さん似ですね)
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(写真は”市電でめぐる函館100選から お借りしました)
当時の第一銀行の建物は、現在 函館市文学館となっていて
啄木の資料の公開の場となっています。
でもね~~ど~しても借金を返さない人を許せないつぐみですが・・。
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コメントコメント


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福島からの青年たちが優しそうな印象で良かったです。凶悪な顔相だったら、申し訳ありませんから。
それにしても、経済が振るわない福島から、安くはない新幹線に乗り、はるばる函館まで来てくれたんですねえ。
そのことが嬉しいですね。

AzTak | URL | 2016/07/19 (Tue) 08:01 [編集]


Re: タイトルなし

AzTakさんコメントを有難うございます。函館を選んで頂き嬉しいですね。彼も新幹線で来れて嬉しそうでした。
おっしゃる通り 新幹線高いですね。中三の孫は新幹線で東京ディズニーランドに修学旅行だそうです。
東北までなら私たちは時間が掛かっても フェリーで行くと思います。東京までなら飛行機のほうが断然安いです。

tugumi365 | URL | 2016/07/19 (Tue) 20:22 [編集]


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| | 2016/07/19 (Tue) 22:24 [編集]


Re: タイトルなし

きたあかりさんコメントを有難うございます。石川啄木のコメントは嬉しかったです。少なくても同じようなことを感じて頂いて。
ノートの借金は返すつもりで付けていたのか?生きていたら聞いて見たかったですね。

tugumi365 | URL | 2016/07/21 (Thu) 08:55 [編集]