
福島町のチロップ館に行ったついでに(3月13日の記事)
もう少し南下して白神岬までドライブ。
この下を青函トンネルが通っています。
青森と19.2キロしか離れていません。

3月26日の新幹線の記事で 津軽海峡を”しょっぱい川”と先人たちが呼んだと書きました。
私の母も奥地(函館の人は北のほうを奥地と呼びました)の開拓の為に 両親に連れられて
”しょっぱい川”を渡ったと いつも言っていました。
本州にはもう戻れない 隔絶感を言っていたと思います。
約20キロしか離れていないので”しょっぱい川”と呼ばれたそうです。

津軽海峡は潮の流れが速く 海の難所だったそうです。
松前藩の参勤交代で 出発や無事の到着を対岸に知らせるために”のろし”をあげました。
新幹線の開業日には 青森側と福島側で ”のろし”をあげて 開業を喜び合いました。


右端に竜飛岬が見えますが ♪はるかに~かすみ見えるだけ~♪

正面が竜飛岬です。

去年フェリーで青森県に渡り 竜飛岬から福島町方面を見ました。
集落が見え 道路もハッキリと確認できました。
ピンクのロールケーキの様な波(?) 石川さゆり 津軽海峡冬景色の歌碑がありました。
ボタンを押すと曲が流れました。他に人が居ないのを良いことに
3回は聞きました。

もう少し南下して白神岬までドライブ。
この下を青函トンネルが通っています。
青森と19.2キロしか離れていません。

3月26日の新幹線の記事で 津軽海峡を”しょっぱい川”と先人たちが呼んだと書きました。
私の母も奥地(函館の人は北のほうを奥地と呼びました)の開拓の為に 両親に連れられて
”しょっぱい川”を渡ったと いつも言っていました。
本州にはもう戻れない 隔絶感を言っていたと思います。
約20キロしか離れていないので”しょっぱい川”と呼ばれたそうです。

津軽海峡は潮の流れが速く 海の難所だったそうです。
松前藩の参勤交代で 出発や無事の到着を対岸に知らせるために”のろし”をあげました。
新幹線の開業日には 青森側と福島側で ”のろし”をあげて 開業を喜び合いました。


右端に竜飛岬が見えますが ♪はるかに~かすみ見えるだけ~♪

正面が竜飛岬です。

去年フェリーで青森県に渡り 竜飛岬から福島町方面を見ました。
集落が見え 道路もハッキリと確認できました。
ピンクのロールケーキの様な波(?) 石川さゆり 津軽海峡冬景色の歌碑がありました。
ボタンを押すと曲が流れました。他に人が居ないのを良いことに
3回は聞きました。

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